最新法律動向

労働災害賠償合意の撤回の可能性

【事件の概要】

 朱氏は、ある会社の従業員で、労働契約により、朱氏の基本賃金は月3,000元と約定されていた。2013年4月15日、生産現場で機械により負傷した。同年6月28日、朱氏は会社と賠償合意を締結し、双方の労働関係を解除した。会社は即日朱氏に労働災害医療補助一時金、後遺傷害就労補助一時金、後遺障害補助一時金の合計5万元を支払い、当事者双方は本件につき今後は相手に如何なる権利も主張しないと約定した。後に朱氏の労働災害は後遺障害10級と認定された。同年11月、朱氏は労働争議仲裁委員会に仲裁を申し立て、会社との賠償合意を撤回し、なお且つ会社に労働災害保険金7万元を支給するよう要求した。労働争議仲裁委員会は朱氏の請求を棄却したため、朱氏は裁判所に上訴を提起し、上記の訴えを行った。

【意見の相違】

ある意見によれば、当該労働災害賠償合意は、有効と認定すべきと考えられている。その理由は、第一に、労働災害賠償合意の締結の過程において、詐欺や強迫及び人の弱みに付け込むような状況が存在せず、合意の締結が双方当事者の真の意思表示であること。第二に、賠償合意の金額及び法定補償基準をからみて、重大な誤解や不公平な状況は存在しないことが挙げられる。

また別の意見では、当該労働災害賠償合意は撤回可能と考えられている。なぜなら労働災害認定と労働能力鑑定を行う迄、労働者は自らの受けた損害の大きさを確定できないため、雇用者が労働者を騙すかミスリードするか、経済的に追い詰め、労働者と雇用者の権利と義務の均衡を大いに崩す可能性があるからである。そのため労働災害賠償合意で約定した金額が法定の基準より低い場合には、撤回の可能性が有るべきである。また、労働者が一年の撤回期間中に撤回を要求した場合、裁判所は、それを支持すべきである。

【分析及びコメント】

筆者(重慶市第一中級人民法院 呉学文)は、一つ目の意見に同意する。その理由は、次の通りである。

1.合意撤回の可能性にかかる法定基準。『労働争議案件への法律適用にかかる若干の問題についての審議に関する最高人民法院の解釈(3)』第10条には、「労働者と雇用者が労働契約の解除または終了に関連する手続において、賃金報酬の支払い、時間外勤務賃金、経済補償金又は賠償金に関する合意を締結した場合、法律や行政法規の強制規定に違反せず、なお且つ詐欺や強迫または人の弱みに付け込むような状況が存在しなければ、有効と認定すべきである。前項の合意に重大な誤解や不公平な状況が存在する場合、当事者が撤回を要求すれば、裁判所は支持しなければならない。」と規定されている。ここから見て取れるように、労働者と雇用者が締結した労働災害賠償合意に撤回可能性があるか否かについてのカギは、重大な誤解や不公平という状況が存在するか否かを見る必要がある。労働能力を鑑定する迄、双方は法定の賠償基準について完全に確定できないが、当事者は生活する上での常識や専門家の意見を参考として、後遺障害のレベルや賠償基準に対し基本的な判断を下すことができる。例えば本件で、双方は賠償額を後遺障害10級の賠償基準を参照して約定した。一方賠償合意の内容から見ると、合計金額を約定しただけでなく、労働災害賠償の具体的な項目も列記している。これは、当事者双方が労働災害賠償の法定基準を承知していることを説明するものであるため、労働者が合意を締結したときに重大な誤解が存在したと認定することはできない。

2.合意に裁量基準の不公平さが存在するか否か。賠償合意に不公平さが存在するか否かは本来裁判所の自由裁量の範囲に属するが、法律を一律に適用するためには、『契約法司法解釈(2)』の関連規定を参照することができる。『契約法司法解釈(2)』第19条第2項の規定により、                     譲渡価格が取引時の取引地の指導価格又は市場取引価格の70%に満たない場合、一般的に、明らかに不合理な低価格であるとみなすことができる。司法の実践からみれば、多くの労働災害賠償案件の司法調停の結果では、法定賠償基準を元に20%から30%の割引(場合によっては更に低い)をする場合もある。そのため、法定賠償基準の70%を下回らないことを賠償合意が不公平であるか否かを判断する基準とすることが合理的である。本件では、賠償合意で5万元を約定し、法定賠償基準は約6.5万であるため、法定基準の7割を下回っていないため、不公平と認定すべきではない。

3.本件の合意認定の社会的に有益な効果について。合意で約定した金額が法定基準より低ければ、合意は撤回できるとの見方もある。一見労働者に有利にみえるが、実際は労働者の利益の保護に不利である。実務上の取り扱いにおいて、多くの労働者が労働災害認定より前に会社と賠償合意の締結を選択するのは、労働災害によりもたらされる経済的なプレッシャーを早急に緩和するためである。会社が労働者に費用を事前に支払うことに同意した理由は、事前払いの費用は一般的に法定の賠償基準額より低いためである。仮に裁判所が、賠償合意約定の金額が法定の賠償金額より低い場合は全て、賠償合意を撤回可能と認定した場合、会社が労働災害をこうむった従業員との賠償合意を締結することを避けるようになる恐れがあり、労働者は冗長で繁雑な訴訟プロセスを経てからでないと裁判所の最終判決を得ることができなくなる。実務上の取り扱いからみて、労働災害賠償案件の労働者が一審、二審の判決が下される前に「後で多くもらうより、今もらえる方が良い。」ことを選択する場合は決して少ないものではない。同様に、裁判所は労働者が労働能力認定より前に「後で多くもらうより、今もらえる方が良い。」ことを選択する権利を剥奪すべきではない。

(人民法院報より)

作成日:2015年09月07日